奈良県にある日本最古の神社・大神神社。
その創建は神話時代、初代天皇・神武天皇の時代にまで遡らなければなりません。疫病を鎮めるために大物主神を祀った第十代・崇神天皇のお話など歴代の天皇や皇女も関わったこともあります。
そんな大神神社は「恐ろしい」という噂が絶えませんが、本当に恐ろしいのでしょうか?
今回は大神神社の何が恐ろしいのか?に迫っていきましょう。
大神神社は恐ろしい?大神神社の不思議体験まとめ
検索エンジンに「大神神社」とかけると「怖ろしい」という予測ワードが出てくるものの、大神神社にまつわる体験談は「怖い」よりも「不思議」といったほうが正しいです。
その一例をあげてみましょう。↓
三輪山に登ったときの話しだ。
暑かったので途中で上着を脱いだのだが、
そのときに念珠を落としてしまったようで、
気づいたのは山頂の奥の宮でだった。
まあまあ高価なものなので、奥さんに叱られ旅の楽しみも失せかけていた。
帰りに見つかればよいのだが半分は諦めていた。
だが、落ち葉に紛れているのを見つけた。
その念珠から下山するまで白檀の香りがしていた。
本当の話しです。
神社関連ではこうした不思議な体験が何度かあります。
笑
他にも
・鳥居を撮影したら緑色の光が写っていた
・ぬかるんだところで転んだのに、着ていた白い服が汚れていない
・急こう配な山道を歩いてもまったく疲れない
・行こうと思っても体調を崩したり急用が入って行くことができない
など起こったそうです。
いわゆる神様のメッセージ的な「参拝したら色々変わった」という体験談もありました。
このように「怖い」よりも「不思議」な体験談が多い大神神社、それではいったい大神神社の何が恐ろしいのでしょうか。
それは冒頭でも触れた第十代・崇神天皇の時代に起こった疫病のせいだと思われます。
大神神社が恐ろしいと言われるのは日本最古の疫病騒ぎのせい?
大神神社の主祭神・大物主神(おおものぬしのかみ)は国造りをした国津神です。
古事記・記紀神話に登場している大物主神には様々な伝説がありますが、このうち大神神社と関わりがあるのは活玉依姫(いくたまよりひめ)・倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)・祟神天皇です。↓
活玉依姫(いくたまよりひめ)のもとに夜な夜な美しい若者が訪れるようになりました。
姫はすっかりその若者を愛し、若者もまた姫を愛します。
しかし若者は夜にしか現れず、またその素性も確かではなかったので不審に思った両親は姫に「床に赤土をまき、糸巻きの麻糸を通した針を若者の衣に刺すように」と言いつけました。
言いつけを守った姫は翌朝、糸の行方を追いかけると、糸は山にまでつながっていました。
姫は若者の正体が大物主神だと知り、このとき使った糸巻きが三勾(みわ)しか残らなかったことから三輪と名付けられるようになりました。
倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)のもとに夜な夜な男性が来るようになりました。
姫は男性を愛したものの、どういうわけか男性は姫に顔を見せようとはしません。
姫は「顔が見たい」と何度もせがみ、やがて断っていた男性も姫の頼みを聞き入れてくれます。
ただし1つ条件が付き出されました。
それは「絶対に驚いてはいけないこと」、そして「朝起きたら小物入れをのぞくこと」でした。
翌朝、起きた姫が小物入れをのぞくと、そこには小さな蛇がいました。
姫は驚いてしまい、尻もちをついてしまいます。そのとき置いていた箸が陰部に刺さり、姫は亡くなったと言います。
祟神天皇は悦びました。
「これで天下は静まり、国民は栄える」
すぐに意富多々泥古命(オオタタネコ)を神主として、三輪山にオオミワ大神を奉りました。
また伊迦賀色許男命(イカガシコオ命)に命令して、お皿を作り、天津神・国津神の神社に収めました。
また宇陀の墨坂神(スミサカノカミ)に赤い盾と矛を収めました。
また大坂神(オオサカ)に黒い盾と矛を収めました。
また坂の神や河の瀬の神にいたるまで、全てお供えをして祭りました。
これですっかりと疫病は無くなり、国は平和になりました。(引用)
話によっては差異があるものの、大体は上記の通りです。
あとは神武天皇の后となる娘の母・勢夜陀多良比売の伝承もありますが、「大神神社は恐ろしい」と言われるのは祟神天皇の伝承だと思います。
祟神天皇は10代天皇で、本名は御真木入日子印恵命(みまきいりびこいにえのみこと)。
祟神天皇の時代から様々な出来事を記録されるようになったのが特徴ですが、一番の特徴は祟神天皇が日本最古の疫病を鎮めたことです。
この疫病は国内初で、祟神天皇はどうしたらいいのか悩みました。
そこで祟神天皇は夢での神託、神床(かむとこ)で神様の力を借りようとします。
すると夢に現れたのは大物主神で、「この疫病の原因は私だ。子孫の意富多多泥古(おおたたねこ)に私の御魂を祀らせれば、疫病はなくなり、国は安らかになるだろう」と告げました。
さっそく祟神天皇は意富多多泥古を探し出し、大物主神を祀ってもらうと疫病は治まるのでした。
すなわち大物主神は国造りの神である一方、疫病をまき散らした怖い神様だったこともあるのです。
現在はこの伝承から転じ、薬の神様としても信仰されているものの、大神神社の祭事・鎮花祭(はなしずめのまつり)は祟神天皇の伝承から生まれたものとされています。
そうでなくても蛇神としての顔を持ちながらも、大神神社には蛇をモチーフにしたお守りやお札がないあたり、何かを感じずにはいられませんね。
大神神社には呼ばれた人しか行けない?結界が張られている?
大神神社の噂といったら「呼ばれた人しか行けない」「結界が張られている」という噂も有名です。
そもそも大神神社は通常の神社、もっと言えば観光スポット化している神社とは一線を画しています。
・日本古来からの信仰の場であること
・今でも不思議体験が絶えないこと
・狭井神社からの三輪山の入山に厳格なル-ルがあること
など「観光のついでに行ってみようかな」と思うような人は尻込みしても仕方がないでしょう。
しかし大神神社やその周辺、JR三輪駅近辺の雰囲気はとても和やかです。
のんびりしていて、万葉集で語り継がれている「まほろば」の残滓を感じ取れるかと思います。
まとめ
「大神神社は恐ろしい」というよりも「不思議な場所」と言い換えたほうが正しいです。
現在確認できる体験談はどれもこれも不思議なものばかりで、怖いと感じる話はありません。 恐らくは祟神天皇の伝承をはじめ、主祭神・大物主神が蛇神であることが怖いイメージにつながっているのではないでしょうか。