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キングダムの桓騎(かんき)は死亡した?死なない?最後どうなる?

週間ヤングジャンプで連載されている長編歴史漫画、「キングダム」。

今年で連載18年目を迎えましたが、今なお衰える事なく読者を楽しませてくれてます。

古代中国の春秋戦国時代を背景にしており、史実に基づいた物語が展開されるため、実在したとされる人物も多く登場します。主人公の信(李信)や、のちに始皇帝となる秦王嬴政(えいせい)もそうですね。

その中でも異質な人気を誇っているのが秦の将軍の一人、桓騎(かんき)です。冷酷であり、自分以外は頼らず相手にも頼らせない、確固たるポリシーを貫くその姿勢。ですが、史実によれば桓騎は肥下の戦いで討たれる事になります。キングダムでは第703話より始まった肥下の戦いが第754話にて終結しましたが、果たして桓騎はどうなったのでしょうか。生死を含め解説していこうと思います。

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桓騎(かんき) とは

史実にも登場する桓騎ですが、自身の列伝がないため謎多き人物とされています。キングダムでは、第198話「王騎と廉頗」にて、秦の「白老」こと蒙驁(もうごう)大将軍の副将として初めて登場しました。

「化け物」と評されるほどの戦の天才ですが、元々は山賊の頭領という経歴の持ち主。

ただ、史実では山賊だったという事実はなくオリジナルな設定の可能性が高いです。野党狩りをしていた蒙驁を逆に捕らえた桓騎が、先の無い野盗から国軍になり未来を与えるという取引きに応じ蒙驁の配下となっています。「生まれが一世代早ければ六将に名を連ねていた」と称されるほどの実力者で、蒙驁が自他共に認める「凡将」でありながら高い戦果を上げているのは、桓騎の力による所が大きいと言われています。

性格は傲岸不遜で勝つためなら略奪、虐殺、拷問なんでもやる異常なほどの冷酷さ。そんな桓騎には、野盗時代に攻め落とした城邑一つの住人全員の首を自ら切り落とした、というものがあります。そして付けられた異名が、「首切り桓騎」。桓騎の残忍さを表すエピソードです。ですが桓騎軍は野盗時代にスカウトや取り込む形で桓騎の下に付いた人間で構成されており、その強いカリスマ性で部下からは非常に慕われているのでした。

桓騎(かんき) の戦術とその戦果

高い知力を有している桓騎の戦術の特徴は、残虐行為で相手を精神的に疲弊させる戦法から相手の虚を衝くいわゆる「奇策」。恐らく桓騎以外では真似出来ない突飛な戦略で戦果を挙げていきます。

①山陽攻略戦

桓騎初登場となった、秦vs魏の山陽の戦い。魏軍の甲冑を奪って味方を装い魏軍右翼の将・玄峰の本陣へ侵入すると、勘の鋭い玄峰に直前で気付かれはしたものの、あっさり討ち取ります。

そのまま同じ要領で総大将である白亀西(はくきさい)も討ち取って秦軍の勝利を決定づけました。この戦いで秦は、山陽地方という中原へ進出する重要な要地を手に入れる事になります。

②函谷関防衛戦

秦を叩くため楚・韓・趙・魏・燕の五国で合従軍を組み函谷関を攻撃します。函谷関の防衛を任された桓騎は機転を効かせ対応を図るも、防衛戦15日目に合従軍の総攻撃が始まりピンチに陥りますが、魏軍の旗を掲げ敵の大海原の中を平然と駆け抜け、韓軍総大将・成恢(せいかい)を討ち取りました。

討ち取ったのは張唐ですが桓騎の奇策あっての功績でした。

③黒羊丘の戦い

秦vs趙の戦で桓騎は総大将に任命され黒羊丘の占拠に臨みます。広大な樹海が広がる密林地帯で、その中にある5つの丘を占拠した方が実質的な勝利となるため壮絶な陣地取りを行います。

そこで桓騎が取った戦術は、趙軍副将・紀彗(きすい)への心理戦でした。戦とは関係ない住民を虐殺し遺体でアーチを作り、これ以上の惨劇をお前の離眼城で起こしてやると、伝文を送りつけます。離眼の民を守るため紀彗は黒羊丘を撤退し、優位になった秦軍がそのまま丘を占拠。自軍の被害を想定の半分以下に抑えての勝利となりました。

六大将軍に任命

こういった戦果を評価され桓騎は六大将軍の第五将に任命されます。将軍としての地位を得た桓騎は、趙国の王都である邯鄲に手をかけるため手前に位置する平陽に攻め込みます。この平陽の戦いで趙国大将軍・扈輒(こちょう)率いる24万の大軍に8万で挑むものの兵力では絶望的な差があるため、その圧倒的不利を覆すため相手の油断を誘う罠を張ります。

敵が勢いづき前に出た所で、手薄になった本陣に隠れ潜んで強襲し扈輒を討ち取ります。しかし、桓騎軍の幹部である雷土(らいど)が拷問の末に虐殺されたことを知ると、独断で10万もの趙兵を処刑。趙国は大打撃を受ける事になってしまいました。

桓騎(かんき) の最後。肥下の戦い

平陽の戦いで勝利した桓騎たち秦軍は趙国を滅ぼすため、その勢いで宜安に攻め込みますが、趙の大将軍・李牧が立ちはだかります。これが桓騎の最期となる肥下の戦いです。黒羊丘では後塵を拝した趙軍ですが、ここで李牧が「桓騎の弱点」を見つけます。

桓騎の弱点、それは正攻法での戦い方を知らない事でした。これまでの戦果は全て奇襲・奇策を用いての勝利であり、黒羊丘の戦いにて正攻法で勝利する道筋があったものの機を逃しており、それが李牧の仮説を裏付けたのでした。

このまま数で押し込めば桓騎を討てると確信し包囲するも、即座に十字型陣形を組み李牧を混乱させ、犠牲を出しつつも包囲網を突破します。その後、宜安城陥落を目論むも、仲間が次々に討ち取られ追い詰められていき、李牧の眼前にまで迫りながらも最期は討ち取られてしまうのでした。

桓騎(かんき) は実は死亡してなかった?桓騎生存説

このように趙国陥落の目前まで迫りつつも道半ばで力尽きた桓騎ですが、この最期には諸説あって別の記録では肥下の戦い後、敗走したともされてます。

もし桓騎が上手く敗走出来ていれば史実では生存していた可能性が高く、ここで浮上してくるのが、始皇帝暗殺未遂事件において実行犯・荊軻(けいか)に協力した樊於期(はんおき)という人物です。もともと秦の将軍だった樊於期は、敗走後、燕国に亡命し改名した桓騎ではないかという説があるのです。しかし、キングダムにおいては桓騎の最期がしっかりと描かれており、樊於期は別の人物として登場してますのでこの説は適用されないようです。

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まとめ

以上、キングダムでの桓騎の死亡について解説しました。

まとめますと、

  • 桓騎は秦の大将軍・蒙驁の副将として初登場
  • その後、奇策を用いて戦果を上げ六大将軍に任命される
  • 趙国攻略に大きく貢献するも肥下の戦いで李牧に討ち取られる
  • 桓騎の最期には諸説あり。生存説もあるがキングダムでは否定

と、なります。

桓騎が討ち取られた肥下の戦いが紀元前233年。史実では、嬴政が中華統一し始皇帝となるのが紀元前221年。既に18年も連載されてますが物語はまだまだ道半ば。追いかけるには中々ボリュームのある本作ですが、物語の最期を見届けるため今から追いかけるのも全然ありです!是非この機会にお手に取ってみてはいかがでしょうか。"

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