「出雲大社の参拝後に人生が変わった」、そうした変化を求めてお参りにやってくる人は少なくありません。
出雲大社ほどの格が高い神社ともなれば参拝後の変化を期待するのは自然です。
しかし欲を優先するあまり、しっぺ返しを食らったケースも確認されています。
参拝後にどんな変化が起こるのか、その良し悪しとは何かなどを解説していきましょう。
出雲大社の参拝後、何かしらの変化はある?
結論から言うと、大なり小なり参拝後に変化は起こります。
例えば秋田県在住の女性のエピソードです。
彼女は女友達とともに出雲大社へお参りしたものの、あまりの混雑に落ち着いてお願いができなかったことに気が沈んでしまいました。
それから数か月後は何の変化なく、いつものように過ごしていたら同じく出雲大社に参拝した友人から合コンに誘われたそうです。
友人の顔を立てるために合コンに参加した女性はそこである1人の男性と出会います。
ほとんどの男性が30代だったメンバーのなかで、1人だけ40代なその男性は合コンメンバーを見守りつつ、女性に優しく接してくれました。
女性はときめいたものの、連絡先を交換しなかったため、「もう出会う事はないな」と諦めます……が、やはり「もう一度会いたい」という気持ちは消せませんでした。
彼女は出雲大社で授与したお守りに男性との再会を願い、肌身離さずそのお守りを持ち歩いていると繁華街で再会したそうです。
その再会がきっかけで今度こそ連絡先を交換した女性は男性とメッセージのやり取りをしていくうちに男性側から交際を持ちかけられた、と言います。
このような恋愛に関する変化は出雲大社の参拝後に起こる出来事として取り上げられています↓
(出典:https://www.uranaiforest.com/42574/)
逆に参拝後に悪いこととか起こる?
「参拝後に悪いことは起こったりするのか」、その答えはイエスです。
これもまた、ある女性の体験談となります。
その女性は厄年ということもあり、出雲大社で厄除けのご祈祷を旦那さんとともに受けたそうです。
ご祈祷には女性と旦那さん以外にも参加しており、「若い女性やカップル、家族連れが多かった」とコメントしています。
そしていざご祈祷が始まったわけですが、ここで一同は宮司に叱られました。
・「上着をひざ掛けのようにかけない」
・「神様の前なんですよ。皆さんは会社の上司に対しても同じことができますか?」
一同は叱られたショックで心身を引き締め、静寂に包まれた空間でご祈祷を受けたと言います。
その後無事にご祈祷は終わり、女性と旦那さんは神門通りの飲食店で一服することにしました。
ここで旦那さんが宮司の指摘に文句を言ったそうですが、直後、店員さんが持ってきた抹茶が倒れてしまったそうです。
そのしぶきが大切にしていたぬいぐるみにかかってしまい、「旦那はショックを受けた」と女性はブログで綴っています↓
(出典:https://asosuna.com/izumooyashiro)
良いこと、悪いことを決めるポイントとは?
時間差はあれど、出雲大社の参拝後に何かしらの変化が起こるのはまず間違いないでしょう。
ではその変化が良い出来事なのか、悪い出来事なのか。
それを決めるポイントは
・神様にちゃんと感謝できたのか、礼を尽くせたか
だと思います。
良い出来事を体験した秋田県の女性はお参りに手ごたえを感じてなかったものの、「東北にいるから中々行けない出雲大社にちゃんとお参りしよう!」と意気込んでいました。
対する悪い出来事として紹介した旦那さんは最初の叱責時の態度はともかく、ご祈祷(神事)に文句をつけたのがまずかったのでしょう。
観光業の発展とともに神社もまた参拝客を招くことができました。
また昨今のスピリチュアルブームのおかげで「パワースポット=一度は行くべき場所」というイメージが刷り込まれ、全国各地の神社仏閣は「観光スポット」と思われがちです。
つまるところ「認識がズレている」のです。
観光スポットであればアトラクション施設を楽しむように大はしゃぎしても問題ありません。
しかし神事を執り行う神社、特に格が高い社ではそんな行為は無礼千万です。
当たり前のように、そして顔色を変えないで執り行われる神事・祭典を一言で言うなら「苦行」としか言いようがありません。
雪が降り注ぐなか、防寒性のない和服を身にまとって朗々と祝詞を唱える……これを定期的に、もしくは大規模に行わなくてはならないことを俗っぽく言えば「苦行」でしょう。
けれど神様と向き合うということは、こういうことです。
これは出雲大社だけでなく、東京都の太田神社や埼玉県の三峰神社などあらゆる神社に当てはまります。
要するに慎み深くなること、それが良い出来事と悪い出来事の分岐点です。
出雲大社の神様に礼を尽くすにはどうしたらいい?
出雲大社の参拝後に良い出来事を起こす、もとい出雲大社の神様(大国主大神)に礼を尽くすには正しく参拝するのが一番です。
その正しい参拝とは
・祓社に立ち寄る
・2礼4拍手1礼をする
・手水舎で口と手を清める
・境内を反時計回り(東)から巡る
が主に挙げられます。
これらのマナーは出雲大社の参拝について調べればおのずと判明するものの、困ったことに
・情報が食い違う
ことがあるのです。
その代表格として境内の回り方が挙げられます。
基本的に「反時計回り(東)から巡る」とされていますが、情報によっては
・「西から巡ろう!本殿の西側には遥拝場っていう大国主様を正面から拝む場所があるから!」
と薦めることもあるので困惑してしまう人がいてもおかしくありません。
筆者としては「反時計回り(東)」派ですが、ここでポイントとなっているのはその参拝方法をその人が信じていることです。
その人が「こっちが正しい!」と思っていたら、それを否定するのは難しいからに尽きます。
ともすればアイデンティティが壊れるかもしれません(大げさな話ではなく、スピリチュアル界隈では「自分こそが正しい」と思っている方が多いため)。
あくまで大事なことは神様への礼儀を忘れないことです。
西にしても東にしても、
・「もしも参拝ルートを間違えていたらごめんなさい」
と申し上げておくのがポイントだと思います。
そして日頃の感謝を告げることです。
誰だって毎日働いていたら疲れるし、嫌になります。
しかしそんな時に「ありがとうございます。いつも助かっています」と言われたら、元気になるものです。
参拝とは神様にパワーを送ることだとも思います。
そのパワーに不純なものがあったら、神様だって怒るのは当然です。
出雲大社は神代から続く社、文字通り大黒柱のような神社だと思って「ありがとう」を告げに行きましょう。
まとめ
出雲大社の参拝後、起こる変化の良し悪しを決めるのは神様への礼儀を尽くせるかどうかです。
誰だって文句を言われたら怒るし、お礼を告げられたら嬉しくなります。
それは神様も同じです。
その礼儀を守るには正しくお参りするのが一番ですが、たとえ参拝にあたって勉強していたとしても「もしも参拝の作法を間違えていたらごめんなさい」と一言添えておきましょう。